「卒論の続き」

一生青春。 架空的計画(visionary scheme)の目標は世界の法則(The Law of the World)を見つけること。

バンタン卒業式 米イェール大学助教授・経済学者の成田悠輔氏のスピーチについて 

 


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実に何年振りかに書いてみたくなったので、特に目的なく投稿してみる。
若かりし頃のバイトの先輩がここの卒業生でもあり、気になった。

【成田悠輔氏メッセージ】※一部抜粋

やってはいけない、やらない方が良いと言われているものにちょっと手を伸ばしてみたり、言ってはいけないとか言わない方が良いと言われているものをとりあえず言ってみるというような、実験っぽい精神をどう持つかというのがとても大事になってくるんじゃないかなと思うんです。成功は一旦忘れた方が良いという気さえします。

もしどこかで周りの人たちが成功とみなすようなことを、みなさんが成し遂げたとしたら、そこから(それをどう破壊して)積極的に没落することが大事なのではないかなという気がしています。僕自身もそんな精神を体現するために、どうにか暴言をはいて、炎上のし過ぎですべての仕事を失うという状態を毎日想像するようにしているんです。すべてを失った時にはそばでも打ちながら人生を過ごそうと思っているところです。みなさんにもぜひニコニコと没落していただいて、すべてを失った時には僕の手打ちそばを食べに来て頂きたいなと思っている次第です。

 

prtimes.jp

 

※ 後で見て自分も思いついたことを忘れそうなのでmemo。


 コメント欄には概ね好印象な共感を語る投稿が多いが、このスピーチは世界炎上後初のモノでもあり、非常に練られているのではないかと個人的には感じた。

 ところどころにちりばめられた広く、学術的かつ学際的な鋭い視点をわかりやすい言葉に置き換え、また、自らをディスるような逆説的な風刺によって、世界的な炎上を回収し、さらにそこに再度、日本的精神を埋め込みに再参入をかけに行く。そのこだわりは、本当か嘘かわからないような「そば」のアナロジー(素材は質素だが、その技術は職人的、生活として豊かさのある日本人的原風景)にも垣間見えるように思う。

 

哲学的視点:マルクス・アウレリウス

 

以下の解説が参考になる:”私”という(理性的)存在にふさわしい実践ができているか?

自分は向上しているのか、落ちているのか?!~マルクス・アウレリウス

 

社会学的視点:「観察システム」の作動の話(社会システム論)

  • 未着手、まだ見ぬ領域がたくさんある

⇒ 「観察」には必ず盲点がある、見えている世界がすべてではない

 

  • 一歩踏み出す勇気、根拠のない勇気を持つ

⇒ 試してみるまで結果はわからない、デキゴトは常に偶発性にさらされている(確固たるものはないよ)

 

経営学的視点:イノベーション的な視点(若者・ヨソ者・バカ者)

> 外側から何かを変えるアプローチ。でも限界はあるだろう。

  • 幼児性:わかもの・ばかもの(馬鹿になれ、無知になれ)
  • 異国性:よそもの(部外者)

⇒ でもそれはあまり意味がない(という成田流のアンチテーゼであろう)

 

おそらく出典はこのあたり?

 

文学的視点:自己破壊からの自己創出 > 内側から何かを変えるアプローチ

  • 武士性:ニコボツ(自分自身の解体、脱パラドクスによる再構築)

 

主張:武士道からの堕落論 > 自分を見つけなさい、そして救え

              このインタビューだけ見ても日本文学も足場を置いているのは明らかだろう。

 

「武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。」

「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。」

 

 スピーチとして洗練されているかどうかは受け側の立場、判断によるだろうが、内容としては高度なことを伝えているはず。自虐的で、高度に学術的で、学際的。その両輪を言葉巧みに操ることで、実はめちゃくちゃ高度なことを話している(もはやお笑い芸人の域に近い)。そして、この一連のスピーチそのものを通じて、自身の学習、ボールの投げ方を科学しているようにも見える(自らの真意伝達の可能性 vs 炎上可能性のバランス)。そのことそのものを楽しんでいるかも・・・。

 表層的だが共感的で素朴なコメントはよしとして、スピーチに中途半端にダメだししているコメントが中に見られるが、そういう輩をあぶり出すためには「格好のスピーチ手法」・・・というのは深ヨミしすぎだろうか。

 大事なのは世界炎上でも権力に迎合せず、我が道を行くことで開拓者足りうる「パンク的な態度」ではないだろうか。